ウィトゲンシュタインに学ぶプログラム言語の本質
もひとつHogedより。
いまどき、ヴィトゲンシュタインを語るのに、論理哲学論考はねーだろー、なんてひっくり返ってしまった。後の哲学論考での「言語ゲーム」の話があまりに(個人的には)できすぎなので。ま、プログラム言語みたいなシンプルさや論理性が要求される「言語」なら、初期ヴィトゲンシュタインの言語に対する思想で十分というか、むしろそこを狙っているのだろうけれど。
ここ数日、頭の中にバリエーション豊かな単語が行き交って心地よい。
せっかくなので言語ゲームの解説。
「猫」という言語と実体とを結びつけるときに、普通は、猫を定義しようとする。
- 4本足である。
- にゃんと鳴く
- またたびに弱い
- ...
ここで、たろうくん(仮名:3歳)は、事故で足を1本失った猫を見て言うのでした。「あれは4本足じゃないから猫じゃないんだね」
そこで言語ゲーム。言語ゲームはこんな感じ。
- 猫をさして「あれは猫です」
- 猫をさして「あれは猫です」
- 犬をさして「あれは猫ではありません」
- 猫をさして「あれは猫です」
- ...
こうすることにより、徐々に実体と言葉がつながっていく。これが言語ゲーム。
たとえば、雪を表現するのにsnowという言葉しか持たないひとに対して、ボタン雪やべた雪を説明するのに似ている。(と思う)