夏が終わる

7月頭に それまでの自分の仕事を発表して、ナニガシに全否定に近い対応をされてから、正直、ウツである。
研究したいと脳が反応するまで、絵描きか作家か高校の先生にでもなっていたい。
M1の、毎日、ラボに行くだけはして、ネットサーフィンしてたあの頃に比べたら、今なんで100万倍 マシだと思うが、これはひとえに、自分が日本を変えてやる、(そして変えられる場所にいる)という自負心と、人に見られるようになった自分の背中かと思う。単純には、このブログの存在がなかったら、事態はもっと悪くなっていたと思う。
研究というものは、そもそも自分の中からふつふつと湧いてくる、不条理とか(こいつは間違ってるとか、なんでこんな解釈なんだ、とか)、自尊心(こいつはこういうことに違いない。そして、それを知っているのは自分だけだ)とか、そんなもんが原動力になっているのだと思うのだが、そいつを研究たらしめるのは実際にやってみる実行力だろう。「そんなもんは10年前から考えとった」とか言っても、ただ、お前の頭の中にあるだけで、実際にそれを形にして示したオレはえらいんだ。その考えなり やってみたなんぞやで人々を納得させられなかったお前でなく、ちゃんと、メンテされていくデータベースなりツールなりを作ったり、論文の形にまとめたオレはえらいんだ。
自分の強みって何だろうね。踏みつぶされても踏みつぶされても踏みつぶされても、それでもへこたれない(フリができる)図々しさかな。研究と何ら関係ないな。
背中を追いかけるのと、背中を追いかけられるのと、同じアナロジーが存在しているのだが、そもそも、追いかけるべき背中であるか、追いかけられるにふさわしい背中か。この背中のためのメンツなのだろうが、追いかけられるこの背中は、自分が存在する以上、自分の後ろっかわについて回って、逃れられないんだよな。
多分、これを書くのは、2日 早かったんだと思うが、常に、2日ずつ、書かれるのが早いエントリなんだろうかと思う。